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これでちょうど100記事目。

1月9日から毎日更新していたこのブログもちょうど五十音71文字の雑記もおわり、なんとなく区切りがよい感じになった。
日課としてつらつらと文字を打ち込むのはとても気楽で楽しく、一種のストレス解消にもなっていたように思う。

そんな毎日続けていた二ヶ月長、やり続けられてこととできなかったことがある。

まず編み物。入れ物などいろいろ買って用意や準備はできたのだけど、整理したことにより手の届く場所になくなったせいもあって今は休止中になっている。
やっぱりブログに進捗を乗せるのはとても効果的だったのだけど、自分が撮れる写真があまり気に入らずなかなか億劫に感じていた。ここも考えたい。
なんにせよ最終目標としては、今年の寒くなるまでにベッドカバーをつくることなのでここでやめることなく、こまごまと続けていきたい。

つぎに映画鑑賞。週に一作はみる気概でのぞんだものの、最終的に3作。一月に一作のペースだ。
やはり、どうも映画をじっくりみるという習慣ができてない。
あと新しい映画をみる、というのは思いの外精神力を使う。選ぶのも、見るのも。もはやルーティンのように、見ることができればいいのだけど
まだ自分の中では特別行事感が否めないのだろう。
なにをするにも勿体ながってしまうのはほんとうに悪癖だと思う。

そして、早起き。これは2月の末あたりからだったのだけど、ちょっと生活環境が変わったのとどうにも甘えが抜けきらないのとで、いまだ戻っていない。
甘えと同時に、どうも目的意識が2月末にくらべると低いのでそのせいもありそうだ。
どうにかこの認識を変えていかないと、そもそもの話にすらならないような気がする。

コンスタントに続けられたのは、このブログの記事か。絵もちゃんと描いて塗っている。正直1月に描いて塗った絵と最近のえはだいぶ違う気がする。とてもいい意味で。

それと同時に、ブログサービスのことをいろいろ考えた。
正直こうやって、長めに使ってみてアベマオウンドはちょっと不親切なところが多い。使い方も、テンプレートも思ったよりも自由度が少ない。
できれば1つのサイトでいろいろ用立てられればと思ったのだけど、ちょっと厳しそうだ。

いまはいろんなサービスが有る。

そして、ひとりひとりの脳みそから湧き出た創作一つ一つに大いなる価値がある。

それをひとつの財産として、大切にするのもとても大事なことなのではないだろうか。

武士は食わねど高楊枝の時代はおわった。共有すること、共感すること、便利だと思う情報、楽しいという気持ち。すべてにおいて対価がひつようであることを失念しすぎていたような気もする。

一度このアベマオウンドでの日記は休止にして
他の場所を旅してみようと思う。

100回を記念して。
100回も続けられた自分に称賛を与え。

これからも、よろしく。



思考は身体に影響する。


いや、思考は全てに影響する。


思考は自分自身というものそのもので、それを変えるということは直接的にすべてを変えること。世界のすべてを変えられる。


ずっとずっとネガティブだった。いまだって厭世的であることを否めないけれども、それ以上の全てに対して、否定的で消極的だった。

自分は運が悪いと思っていたし、かわいくないとおもっていたし、皆が楽しむものが嫌いだった。逆にそれは自分ひとりが孤独だと、特別だと思いたいなんていう、子供じみた思いだった。

嫌いだと拒否して、突っぱねてしまえばもうそれで終わりだ。なにも始まらない。始まらなければなにもないのだ。


そんなふうにずっと生きてきた。

そんな自分がそうも言ってられなくなったのはもう5年ほど前だろうか。

その時から、自分は自分のために生きていかなくてはいけなくなって、その時まで自分は自分のために生きていなかったことを気付かされた。

誰かがいて、存在を認めてくれなければいけなかったのだ。


まあそんなこんなで今は昔に比べればだいぶポジティブになった。

いろんなものに興味をもつようになったし、受容するようになった。どうかな?から入れるようになった。それはとても楽しいことだった。


まだまだ惑っている。

未だに劣等感はすごいし、関係性を高めることがほんとうに苦手だ。持っている人に対しての嫉妬もものすごい。

自己肯定感が大事と最近目にするので、こういうワークもやっていきたい。


もっと前向きになれる。

むりにでもいい。動いて、歩いて、前を見る。


そんなふうにもっと。

フルデジタルで漫画を書き始めたのはもう10年くらい前になりそうだ。貧乏性過ぎてトーンを使うのが苦手だったのだけど、デジタルはそういうことがないのがいい。


アナログで漫画をかき、そのあとはペン入れまでアナログそれ以降はPhotoshop、それからコミスタのデビューをちょっと触り、SAIに移行、SAIとフォトショになり、コミスタを買うとクリスタも一緒にできるとかでコミスタを買い、いまのクリスタのみになった。


書き出してみると意外と遍歴がある。


液タブになったのは4年ほど、板タブはアナログからフォトショを使い~…くらいのときだった。最終的に、クラフト紙を貼り付けて使っていた。


現状、あまりアナログで絵を描くことがすくなくなった。

だけど、わたしはペン入れは正直アナログのほうが好きだ。


あの金属のペン先で、原稿用紙にカリカリと書き込む。あの感じやペンタッチは、やっぱりなかなかデジタルでは出せないものだと思う。いくらアナログ風のペン設定を使っても。


自分は丸ペンとスクールペンが好きだった。むしろGペンが筆圧付きすぎるのでとても苦手で、克服しようとしたのは何度もあったけどそのたびに挫折した。


丸ペンのあの細いペン先から、細い細い線を描く。細い線を重ねて太い線にする。

自分が描いたのか疑いたくなるような、そんな線。それをかきだせる丸ペンが好きだった。

シャリシャリと音を立て、瞳の描写をしているときなんかは絵を描いている以上の感覚すら感じる。


そして同様に、細い細い線がかけるスクールペンもいい。より強弱がつけられない、硬いペン先。丸ペンは紙に刺さる感じすらあるが、スクールはそこまでの鋭さはない。

恐ろしく細く、硬い、線。それがかける。書き味自体はそれほどの過敏さはないのに。


インクを付けるその瞬間、紙から目を上げ、ふっと息をつく。インク瓶にペン先をつけ、また紙に向かう。じっと自分と自分の絵にに集中する。


デジタルで絵を描いていても、たまにアナログでつけペンを使うと、やっぱりいいなとおもう。やっぱり電子上のデータでやることと、現実のなかで行われていることは指先から違うのかもしれない。


またオールアナログで一度漫画を書きたい。月イチくらいでペン画をあげてもいいかもしれない。

せっかく買った、素敵なペン軸をどこにやっただろうか…。今度掃除ついでに引っ張り出して有限実行に移そう。




むかし初めてピンキーリングを身に着けた時、買った指輪の柄がプルメリアだった。


一応ハワイアンジュエリーインスパイアっぽい、シルバーの高価でもない安価なかわいい指輪だった。

その時はそれのモチーフがプルメリアだとはしらず、ただのかわいい花かんむりだと思っていたのだけど大層気に入っていた。


そもそも、自分は指輪のサイズがほとんどなく、ピンキーリングに至ってはそもそもピッタリのサイズが0号なのでなかなか見つからない。

はじめてみつけた0号が、そのプルメリアのピンキーリングだったのだ。


タンスの整理か何かをしていたときにするりとどこかに行ってしまい、それ以降行方知れずになってしまったその指輪。


またあれと同じ柄のものがあったら、きっとあの頃と同じくまた指にはめてしまうのだろうな。

ピアスの穴はあるけど、最近めっきりつけなくなった。まだ穴は残っているはずなのでつけようと思えば多分つけることができるだろう。


耳たぶに3つと、軟骨に1つ。地味に空いている。


つけなくなったのに対して理由はない。ただ、ちょっと金属アレルギーっぽい感じがあってどうもつけてるとかゆい。そしてつけるなら終日つけていたいけど、なんか気になってしまう。寝る時ゴロゴロするし。

でもつけている見た目は好きなので、またつけるようにクセをつけたい。

亜鉛や銀の指輪はずっとつけていても問題ないので、ちょっと素材を変えてまた選ぼうか。


ピアスと入れ墨に関しては、ずっと好きで創作のときもよく書く。やはりどうしても否めないアナーキーやロックであるという信念が好きなのだ。

ファッションとして、というよりやはりそこにある「身体に直接刻む。」というひとつ生き物として通り超えた行為というのはなかなか他にはない。


こういうのは、あくまで自分で自分に対する感情だったり付加価値だったりするから、他者からどうのこうの言われるものではない。

それをやった自分のことを自分が好きになる。そういうことなのだ。


新しく買って、もしいい感じにつけていられるようならまた新しく穴を開けたいなー。

もうだいぶ前になってしまったけど、パン祭りをやった事があった。

業務用食品を取り扱うおみせで、500g分の生イーストを購入してひたすらパンを焼くというものだった。

生イーストはいい。発酵が強いし、失敗することがない。
手軽さは粉のイーストには劣るけども、とても美味しいパンが焼ける。

パン祭りをやった時は、普通のオーブンレンジと、捏ねるようにホームベーカリーを使った。さすがに連日手ごねは無理だ。

計量し、時間をはかり、機械でこね、発酵。その間に別のパンをまた計量から。

生イーストがダメになるまで2週間ほど毎日3回か4回ほど焼いていた。
やってること自体はご家庭品だったけど、ローテを考えて色々やるのは、パン屋のようでとても楽しかった。

パン屋が好きだ。
家の近くに、行きつけのが
2件くらいほしいなぁとおもう。

やわい惣菜パンも好きだけど、断然ハードが好きで、ベーコンエピは大好物。
バケットのなかのもちもち。そとのぱりぱり。そのままでも、なにしても美味しい。

グルテンフリーとかもおもしろいなーとは思うけど、こういった常食品を変えることを考えなければいけないのは大変だ。

美味しいものは美味しく、過剰ではなく少量で。

また機会を狙ってパン祭りを行いたいものだ。

ぼたもちとおはぎが同じものだとしって驚いた。

春の彼岸は牡丹が咲くからぼたんもち、ぼたもち。

秋の彼岸は萩が咲くからおはぎ、なのだそうだ。


私は基本的に嫌いな食べ物がない。強いて言うならトマト…は、好んではいただかない。そして嫌いというわけではないけど、このおはぎなるものがどうも食わず嫌いである。


モチはすきだ。きなこもちとか、磯辺焼きとか、チーズとかごま油とか、そういう味付けをしたモチはすきだ。もちろんあんこのっけたやつだったり、お汁粉だって頂く。

だからあんこが嫌いというわけではない。


ではなぜか。


もちとおはぎの相違点。それはきちんと潰してるか、潰してないかの違い。


おはぎの、ご飯の半殺し状態というのがどうしても受け入れがたさを感じるのだ。

なんというか、こういうきちんと混ぜってなかったりするものがすこしいやなんだとおもう。私はたまごかけごはんの卵もきっちり万遍なく混ぜる。中途半端な混ぜ加減は好きではない。


でも小学生の時は、こどもの日の特別デザートでちまきをよろこんで選び食べていたんだし、ほんとうに食わず嫌いなんだろうなあ。


嫌いな食べ物がないがゆえに、自分の食味よりもそれを好む人がいればそれを譲る。できれば口に合うものを食べたほうが、全体的にきもちいいだろう。


みたらし団子がたべたい。



お弁当はいい。冷めても美味しいものを沢山詰めた夢の箱。
おにぎりや唐揚げは暖かい状態とはまた違った趣がある。
ちょっと喉に詰まりそうな危機感がある食べ物が好きだ。

デコ弁みたいなハイカラなのは作ったことない。もう味の美味しさ重視の見た目にはこだわらないものばかりだった。

だけど、たまにはなんか可愛い感じのものを作ってみたい。経験的に。やったことないことやってみよう年間と言うやつだ。

おにぎりたべたいなぁ。
おかかとうめぼし。あとしょっぱい鮭とたらこ。大好き。
豚キムチのキムチはよく熟成されてて酸っぱい方がいい。

お肉はバラでもももでも。細切れでも。

お砂糖入れない。
醤油と塩だけで味付け。オイスターソースはちょっとだけ入れてもいい。

ニラとかネギを青みとして入れる。

これをご飯と一緒に食べたい。
そのまま炒めてチャーハンにしてもいい。焼きうどんにしてもいい。おにぎりもいいな。

自分のなかでは高菜炒めにならぶ汎用性の高いもの。


眠い時はなんか食べ物の記事になるなぁ。。ねむい。
朝ごはんにヨーグルトたべたい。

きな粉まぜたり、スキムミルクまぜたり。グラノラ作ったり。
ドライフルーツ漬けたり。
気になったジャムをのせる。
ギリシャヨーグルトみたいな水分落としたやつも。

朝ごはんに食べたい。
そしてヨーグルトメーカーが欲しい。

子供の頃から、父がバイク乗りだったせいもあって、バイクが好きだった。

小学生だっただろうか。サイドカーに乗せてもらったり、後ろの乗っけてもらったり。二輪に対してはだいぶハードルが低い。


そんな自分だけど、自力以上の動力で動く乗り物を操縦することはまだできない。

要するに運転免許を持っていない。なんであんなにも高価なのだろうか。


免状を頂いたあかつきには、車内がひろめのワンボックスと、YAMAHAのバイクVOXとSR400に乗りたい。

ちょっとテントとか寝袋とか積んで、ふら~~っと一人でキャンプに行ったり、適当に音楽を鳴らしながらあてのないドライブとか、心から憧れる。


いい加減、こういう自由を手にしたい。行動力は自由だ。