『よ』:余裕
余裕がある、ということを悪しとしている自分がどこかにいる。
締切も、待ち合わせも。
なぜかギリギリにしたほうがいいのではないか、と思考の深く深くに何故かそれがある気がする。そんなことないのに。
じゃあなんで、それを良しとしてることが深層心理の中に深く埋まっているか。
結局ギリギリにしたほうが、自分自身の達成感を感じられるからではないだろうか。
とんでもない話ではあるが。
脱稿ハーブという言葉を昔教えてもらったことがあって、それは同人誌なりなんなりの締切を徹夜してギリギリ入稿した時の達成感から発生する脳内麻薬が忘れられず、次もギリギリの進行にしたくなるというものだった。
とても身に覚えがある。
なるほど、それをいまだに脳が覚えていて深層の中に刻み込んでいるのか。
達成感は大事だ。なにごともそう。
己に対する達成感と、他者からの承認は甘い甘い報酬だ。習慣を作りたい時にも非常に役に立つ。
だけどそれを得ようとして自ら逆境に立つことを望むなんて本末転倒も甚だしい。さらにいうなら脳内麻薬を望んでいるならそれこそ依存に近いわけだし。
これに対する是正はどうしたらよいのか。
余裕のある行動をこなすことによって自分にあたえられる充足感や達成感を感じられるようになる。それもギリギリでこなしたときの達成感より感動的なもの。
あとはメンタル的に余裕のある進行、これであることが心地よい、というふうになれるまでの順応。これが必要な気がする。
なんにせよ、ほんとうにいい加減ギリギリの民からは卒業しなければならない。
一気に変わろうとせず、徐々に、できることから、なおかつしっかりと。
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